手術後、いろいろあって離婚、最悪の結果に。

離婚後の話

時系列が前後してしまうけれど、
ここからは手術後のこと、そして別居から離婚に至るまでの話を書こうと思う。

なぜ、離婚に至ったのか。

子どもがいたから、できる限り離婚はしたくなかった。
自分が育った環境では、親戚に離婚した人が誰もいなかった。
だから、何があっても夫とは添い遂げるものだ、という思いは確かにあった。

それでも最後は、自分で決断して離婚に至った。

今思えば、離婚の理由を挙げればきりがない。
その中の一つ目が、入院中の体験かな。

入院している間、義理の両親や家族から
「あれして」「これして」と言われない環境に久しぶりに身を置いた。

何も求められず、何も注意されない時間、、、、。

その環境を体験してしまったことが、

大きなきっかけだったと思う。

同居していた頃は、日常的にこんな言葉があった。

「洗濯物終わってるよ!」
(早く干しなさい、という意味)

「階段掃除されてないよ。ゴミが落ちてるよ」
(週に二回は掃除機をかけている)

「出かける時は一声かけて。心配だから」
(誰とどこへ行き、何時に帰るのかを報告してからでないと怒られる。)

きっと悪気はない。
むしろ、親切心なのだと思う。

でも、義理の母に言われるのと、自分の母に言われるのとでは違う。
聞き流せる時もあれば、どうしても流せない時もある。

忘れられない出来事がある。

会社の同僚と休みを合わせてランチの約束をした日。
少しお洒落をして、二階から降りてきて、出かける前に一階の義理の両親に報告した。

「友達とランチして、四時に帰ってきます」

返ってきた言葉は一言。

「行ってらっしゃい。いいわね、若い子はお金があって。」

その一言が、心に引っかかった。
今でも忘れられない。

自分で働いて、家にもお金を入れている。
たまに行くランチの、どこが悪いのだろう。

非難されているように感じて、ものすごく嫌だった。
結局、ランチもそこそこに、予定より早く十六時には帰宅した。

そんな環境に、二十四年いた。

暮らしている間は、気にしないようにしていたのかもしれない。
でも、入院して初めて分かった。

優しい看護師さんに囲まれ、至れり尽くせりの環境。
そして、退院後の自由な実家での生活。

なんて自由なんだろう、と心から思った。

実家では、何時に起きても、どこへ行っても、
いちいちお伺いを立てなくていい。

約一ヶ月、生まれ育った自由な環境で過ごしたあと、
心配性の義理の両親との同居生活に戻った。

出かける時は
「コンビニに行ってきます」
と、扉を開けて報告してから玄関を出る日々。

そんなある日、また小言を言われ、二階に上がった。
イライラしながら髪をとかした。

あれ……?

櫛に、ごっそりと抜け落ちた髪。

抗がん剤はしていない。
実家で暮らしていた時は、何もなかった。

明らかに、ストレスだった。

慌てて手鏡を探し、頭皮を確認する。
指で触れると、そこには髪がなく、皮膚の感覚だけがあった。

その瞬間、直感した。

「このままこの環境にいたら、私は死ぬ」

きっとストレスで、がんも再発する。
胸からお腹にかけて広がる、言葉にできない重苦しさ。
誰かに内臓を掴まれ、ぎゅっと握られているような感覚。

その日の夜、帰宅した主人に相談した。

その時は理解を示し、別居に同意してくれた。
本当の気持ちは、今でも分からない。

数日後、一階に集まって家族会議をした。

息子の高校受験で私立入学が決まっていたこと。
今住んでいる家が学校から遠かったこと。
退院後、タバコのない環境を医師から指導されていたこと。
別居しても、週一回は家に戻り家のことをすること。

そうした条件を話し合い、
息子と二人で暮らすために、計画を立てて家を出た。

この時は、まだ離婚ではなかった。
ただ、生きるために必要な選択だった。

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